瞑想を趣味にすると世界がうるさく感じる

本日はスピリチュアルな話でも。最近ブログをさぼっているのは一つ実験をしていまして。それは

瞑想って結局どんな効果がでてくるのだろう

です。私、実は瞑想を教える資格を一つGETしています。まあ瞑想といっても禅をイメージされる人が多いと思いますが、結構種類が多岐に渡っています。なのですが、まあ深く考えずに瞑想として扱います。

さてかなりブログをさぼっていますが、自分の時間も瞑想に時間を割いています。精力的に時間をさいて分かったことを書きたいと思います。まずは

①瞑想をやりたくなる

これが一番の心の変化です。瞑想ってよく言われるように、脳内でドーパミンという快楽物質が放出されると言われます。そのせいなのでしょうか瞑想をやらなくちゃとか思いませんし、むしろ、

ゲームとか趣味をやるのがめんどくさいな、瞑想しよっと

という感じになります。これはある意味、槇原敬之さんのように中毒に・・・なってるのかもしれません笑

②音に強烈に敏感になる

私は目をつぶっても眠くならないので目をつぶってやるせいか、聴力が非常にとぎすまされてきました。誰かが階段を上がる音、お風呂のお湯をかけ流す音、子供が勉強する鉛筆の音、また外では鳥が何匹鳴いているかなど、かなり敏感になりました。そのせいか、夜、ちょっとした音で起きてしまいますし、風の音でも目が覚めてしまうようになりました。最終的にはお米が水を吸う音もうるさいと感じるようになり、都会には出ていきたくない気分です。

③触覚が敏感になる

瞑想により常時集中力が高まっているせいか風が体に当たる、冷気があたるもそうですが、臭いについても敏感になり、好きだったニンニクが食べれなくなりました。また逆にセロリが食べれるようになったなったりよく分からない状態に。あとは振動も鼓膜で敏感に感じるので、子供のどすどす歩く音や叫ぶ声は鼓膜がきついです。

④怒るっちゃ怒る

よく瞑想をする人は穏やかになると言いますが、そうではありません。理不尽なことをされたり言われたらそりゃ怒ります。ただ瞑想をすると怒りが過ぎ去るのが早くなるのを感じます。これは人間の脳の仕組みなのでしょうね。繰り返して怒るから怒りが記憶されるのですが、瞑想をすると一度空っぽになりますので怒りも一度外へ放り出します、すると怒りを少し忘れるんですね。ちなみに大激怒中に瞑想すると心の中のエネルギーがぐるぐる回っているのを感じます。

ここからが私の瞑想生活で感じたオカルトチックなお話。私たちは輪廻をして転生をしています。それは密教で言うのなら大日如来、キリスト教でいうなら神(イエスさんは神の子)という普遍意識から魂のレベルの向上のために分離してこの地球にいるわけです。なのでイエスさんは神からの分離したものとして神の子と表現したのでしょう。弘法大師も 

阿字の子が 阿字のふるさと出で立ちて また立ち返る 阿字のふるさと

という詩を残していますが、これも大日如来という普遍意識から離れ、また魂の向上をして普遍意識に戻ってくるというのを表現しているのでしょう。

私は瞑想の中でこんなことを感じました。私たちが思ってる自分の心(自我)というのは普遍意識から離れここに転生するときに、魂の修行として課せられた運命であり枷です。つまり私たちが苦しいなとかムカつくな、美味しいな、この人かわいいな、という感情を感じる心自体は私たちの本体である魂ではないわけです。瞑想中何度が光のエネルギーを体内に感じるわけですが、本体はこの光のエネルギーなのです。そう魂はこの光エネルギー。これを仏教では仏性というのでしょうね。弘法大師さんこと空海さんは、宗派会議で真言宗はどんな宗派なのかの説明をするときに、印を組み真言を唱え瞑想をすると、身体が光りはじめて仏さんの姿になった伝説があります。私はこれって実話だと思いますね。え?オカルト?そう思う人は是非、瞑想をしてみてください。私の確信の意味が分かります。

今日は少しスピリチュアルで怖い話だったかもしれません。けども私が瞑想していく中で感じたことを偽りなく書きました。こんな話は今回だけですのでこれからもよろしくお願いします。

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