歌手の槇原敬之さんの二度目のお薬逮捕

更新がえらいストップして申し訳ありません。現在、他のプロジェクト(スピリチュアル関連)を進行していまして、そちらの研究(本)と実践を行っています。さて先日ショッキングなニュースが速報になりました。

歌手の槇原敬之さんが二度目のお薬逮捕

です。私は小学校のころに近所の古本屋さんで、今はなくなっている8mmのCDの

どうしようもない僕に降りてきた天使

を兄が買ってきまして、それが気に入り、今でも友人とカラオケに行くとき、この曲を選択すると

おお、いつもの来たな!!!

と言われるぐらいです。一度目の逮捕は覚えていないのですが、一度お薬をやって捕まったのはなんとなく知っていました。その後、復帰して世界に一つだけの花などの名曲を出して完全に復帰という感じでした。

それでも槇原敬之さんは薬に手を出しました。

正直、槇原敬之さんは一度逮捕されてるとはいえ、ミリオンをたくさん出していますし、ライブがあれば席が埋まります。なのでいわゆる

お金も名誉もあった

でも幸せに満足ができなくて薬に手をだしてしまった。私は何度も言うのですが、お金や物なんかでは幸せにはなれないと思ってます。こんなのを言ったらホリエモンさんやひろゆきさんに

はい!論破!!負け犬の遠吠え!!

と言われそうですが、それでも幸せのあるべき姿はお金ではないと思ってます。お金や物の幸せって言うのはただの人と比べてなだけであり幸せではないのです。

今、私たちはお寿司が食べたいときにはスシローにいけば1000円でお腹いっぱい色んなネタを食べれます。では徳川家康さんは炙りサーモンを食べれたでしょうか?いえ食べれませんよね。

ということは私たちより過去の人は幸せな人はいないのでしょうか。そんなことありませんよね。、今、スマホを皆さんお持ちです。学校の連絡もスマホで一発です。私の時代はまだ、神の切れ端に自分で字を書いて、それを折って渡していました。今でも当時横にいた好きだった女の子と授業中に先生の目を盗んで手紙交換をして授業をしていたのを思い出します。

また電話も家の電話しかないので、女の子が家にかけてきて電話を母親にとられると、あとで嫌味なことを言われるわけです。これも過去の幸せな思いでです。

つまり、今、周りの物ありきの幸せというのは、それが幸せと定義すると、自分より過去の人は幸せな人は一人もいないということになります。だって江戸時代に、江戸っ子が

そうだ!京都へ行こう!!

なんて思った日には、それこそ道中で死ぬことを考えたり、家の物を処分するように旅費と作らないといけませんもんね。これは物主義の人には

ちょっとフラッと京都に行けないなんて不幸だ

と言われそうです。さらに考えを発展させるなら、もしこれからリニアの時代になり、もう一歩先の時代になると、どこでもドアのような道具ができているかもしれません。すると

え?ドアを開けたら京都にいけないなんて不幸だね

なんて未来人に言われるかもしれません。

つまり、やっぱり何かに比べての幸せなんてただの優越感なんでしょうね。それは幸せじゃない。高級ホテルのスイートで泊るよりも、お父さんとお母さんとキャンプしたほうが子供は幸せなんです。お風呂はいれなくてもね。

今回のマッキーの逮捕で思い出したのが、細木数子さんの番組名の

幸せってなんだっけ?

です。みなさんのしあわせってなんでしょうか?今一度考えてみませんか?

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