幸せのレベル

私はよく本を読むようになったと思います。昔は本なんて枕がわりになる古文の辞書が最高だ☆と思っていましたがあるときから、本っていわゆるその人のBESTを出版しているわけなので、その人の人生をたった数百ページで追体験することができるということに気が付きました。20代までさっぱりと読まない人だったのに今では図書館に予約までいれています。私はいわゆる啓発系や宗教系で小説とかは読みませんし、エッセイとかは意外に好きです。いろんな気に入った話ができるわけですが、ふとした瞬間にそういう いい話だな と思った話が頭にふってきます。

今日は朝から子供のソフトボール大会の前準備として、荷物を徒歩で運んでるときに降りてきました。

2人の登場人物がいてお互い友達ですが少し離れて暮らして数年会っていません。そんななか一人は牛99頭飼っているいわゆる成金、そしてもう一人は痩せた牛を1匹飼っている貧乏なのです。ある日成金の友人はこう思いました。

あと一匹で100匹だ。どうしてももう一匹欲しい。

すると、成金はボロボロの服を乞食から買い取り、その服を着て貧しい友人のところへ行きこう言います。

すまん、貧乏過ぎるんだ、この通り土下座もするから、牛を譲ってくれないだろうか

こう嘘をついたんですね。すると貧乏な友人は

こちらのほうこそごめん、君がそんなに困ってるのに気が付いてあげれなかった。牛がいなくなっても僕は嫁さんと仕事をして暮らしていくからね、大丈夫だよ

そうして成金は貧乏人から牛をだまし取ったわけです。

さて、話はここで終わっています。みなさんはどう思いましたか?成金目線でいうなら、相手を騙すのにも迫真の用意された演技が必要だ!と感じた人はそうですね。。。。今のIT成金でしょうかね。また学校の先生なら

人を騙して幸せになれませんよね

とまとめるでしょう。また、お年寄り方には

例え友人で会っても怪しまないとオレオレ詐欺にだまされますよ!確認を!!

とも取れます。私はこうとりました。

二人とも今日の夜までしあわせ

そう、成金も100匹になってそれなりに満足しているんですね。そして貧乏人も友人を助けることができたと思えたら幸せですよね。

ただこの成金の幸せは今日の夜までだと思いませんか?次の日になると

次は150匹、次は200匹

騙す人が増えていきどんどん性格が悪くなっていくでしょうね。一日しか幸せはありませんでした。

ですがね、このお話、先ほども言いました通り結末がありません。受け取り手が自由にとっていいのです。この受け取りての幸せレベルに応じて話の取り方が変わってくる面白い話です。ただこの受け取り手のレベルの話ですが、これこそいろんな宗教の解釈に関わってくると思うんですよね。日本は仏教ですので仏教でお話しますと仏教はお釈迦さんがはじめられました。というか真実に気が付き、それを私たちのレベルに落としていろいろ教えてくれたわけですね。最初、お釈迦さんは悟った真理を黙っていました。それは私たちには理解できないものだったんですね。

そう、私たちがよく分からない部族のほうへ向かい、その部族にけなされても、何言ってるか分からないのでニコニコするしかないですよね。それと同じ。言ったところでしょうがないわけです。

ただお釈迦さんはそこであきらめることなく、法を広めていきました。ただ、やはり解釈はレベルにより違います。そこでいろいろお話に脚色がなされ、宗派が分かれたと私は思っています。

みんな違ってみんないいと言いますが、もう少し幸せレベルは統一したほうがいいなと私が思うわけです。なにかこう、サイコパスな内容になってきましたのでここらでやめときますが、最後にですが一つの真実をお伝えしときます。

性格がいい人は性格がいい人が寄ってきて、性格が悪い人は道連れにされる

これは私が冠婚葬祭に関わるものとして伝えておきます。幸せな人のところには同じレベルの人が集まっていき、性格が悪い人は死に際にいろんな人にちょっかいをだしていきます。身内で性格が悪いなと思う人が亡くなる寸前になると、おなじ性質を持たれた親族が怪我や入院が増えます。そういうときこう思ってください。

ああ、私が同じレベルだから引っ張られているんだな 

そこでちょっと性格を考えなおしてください。それでは幸せに!

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