教育問題をのほほんと考える

最近私の同級生でいわゆる知的障害の女の子(まあ同級生なので年齢的にはおばさんですが)が亡くなったと聞きました。障害をもつ方って長生きできないんだよ~と当時の小学校の友人に言われたのをふと思い出しました。もしかしたらこの友人の家庭でお父さんかお母さんにそういうことを言われたのを私に言ったのかもしれません。

この女の子軽度ではなくでも重度というわけでもないので、中度の知的障害で、言えば分かってくれるし、暴力もしない、大人しいけど、成長が遅く体が小さく、そして顔が少しいびつな子でした。女の子でもあるので男子からは特に話しかけることもなく、女子生徒と仲良くやられてましたね。でも小学校高学年の時になぜか急に下半身を露出してきてから私は何かこう彼女が怖くなったのを今でも覚えています。

今、私の子供の学校にもそういう重度中度軽度の知的障害の子がおられるんですけど、うちの子供たちからはあまり話題になりません。まあ自分から言わないのなら特に聞くわけでもないのですが

①私のように何かこう口に出すのがタブーな雰囲気がある

のか

②完全に隔離されている

この二つでしょうね。①ですがうちの子供はお兄ちゃんも含めて、空気を読み過ぎる子たちなので、障害を持つ人にこう口を開くことに気をつかってるのではないだろうか。うちの子に限らずですが、やんちゃな男だって実は何かこう空気を読む能力は高いです。これは子供特有の能力なのでしょうか。

また②.これも考えられます。完全に校舎が離れていて出くわす機会がない。

でも私は根本的なことを言わしてもらいますけど、この障害者についてもっと考えないといけないのは子供ではなく大人ではないでしょうか。先ほど述べた、知的障害の子は長生きできないと吹き込んだ友人の親御さん。なんというかこういう知的障害などの障害を持った子と仲良くしなさいと吹き込まれそれで押し込んでいた思いが、こういう家庭の中でふと漏れることに問題があると思いませんでしょうか。そう考えると

みんな友達☆

という偉い人が考えた小学校教育ってどうかしてるように思えます。正直、悪しき子供ってもとからいないんですよね。すべて家庭なんです。私、先日知ったのですが元暴走していた小学校の同級生と同窓会で隣の席になりました。すると彼はこう言うんですね。

あのころはみんなにほんと申し訳ないことばかりした。本来ならこんな場所に来ていい俺じゃない

こう言うんですね。驚きました。そのあと

まぁまぁ、昔は昔、今は今よ!

と話を交わしますと彼の複雑な家庭事情が分かりました。新築で5年生の時に引っ越してきたけどすぐ親がケンカ、離婚。そして近くのお母さんの実家に移ったけど、元の新築の家で元お父さんだった人が再婚して幸せそうだった。一度母親にだまって会いに行くと新しい奥さんに1万円握らされ もう来ないでね と言われた。こう笑いながら言っていました。そこから彼は暴走をはじめたのでしょうね。

全部大人が悪いんです。子供は悪くない。話は戻しますが、正直なところ、学校というのはそういう道徳的なものを学ぶ場所ではないと思っています私は。その役目は各家庭のお父さんとお母さん。これが先生にならないといけないんです。だから小学校の道徳の授業なんて本来なら必要がないわけですね。

大人になって分かったのですが、中身も大人の人ってホント一握りなんですよね。だからその人を受け入れる人が必要になります。そう、私たち大人は子供たちに

相手の個性を受け入れる理屈抜きの器をコネコネして大きくしてあげないといけないんです。

まあ私の器はおちょこですけどね。ん~なんかこうまとまりがない記事になりましたね。実はこの記事、夜の3時に書いています。はい、飲み会後です。申し訳ありません笑

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です