デス エディケーション ~生と死の教育~とエログッツ

私はもっと学校に宗教者を入れるべきだと思っています。それこそ色んな宗教があればいい。正直、子供が大人が恐れるような肩入りはまずしない。というか日本は宗教に対してアレルギー反応を出し過ぎだと思っている。その結果が現在の

心の問題

に直結してるように思える。特に仏壇とかお墓を大事にさせることは絶対に心の教育、そしてこれから生きていくための道徳以上の秘めている。そしてお葬式や法事、これは子供のためにも進んですべきだ。お墓がなくて家にまだ骨壺あるならば、それはラッキーチャンスだと思ったほうがいい。生と死は裏表で死を意識することで毎日が充実する。簡単に言えば

夏休みは終わりの日があるから、8月20日を過ぎたあたりから遊ばないともったいないと思うようになる

これと一緒で、明日死ぬかもしれないから一生懸命生きようと思えるわけだ。今、ちまたではミニマリストが流行っています。私の好きなyoutuberもミニマリストがおられるのですが、祖母が認知症で施設に入ったからその生前整理のために実家を訪れて掃除をするという動画があります。すると、至る所から割りばしがでてくるんですね笑 何というか汚い家に限って割りばしをとっておく法則があるそうです。

実は私もプチミニマリストです。現在、引っ越しをするなら段ボール箱2箱で終わるレベルですね。私が最初にミニマリストになろうと思ったきっかけは、元カノさんとの

エロいコスプレ衣装を棚の奥に発見した

からです。笑 不純でしょ笑 そこで私は思ったんですね、

もしかして私が忘れてる過去のエログッツが眠り姫になってるかもしれない

というのがきっかけです。別に素晴らしい考えがあったわけではありません。

最近、知り合いのお寺の坊さんからこういう話を聞きました。

最近、葬儀のあと49日まで骨壺を預かってくれと言われることが増えた。

断ればいいのではないかと聞きますと

家に骨壺を置く場所がないから

と言われました。ここで話を終えましたけど正直思ったのが

骨壺を置く場所のない家って3畳ぐらいの家なんでしょうか?

そう思いませんか?骨壺の箱ってどんなに大きくても50センチぐらいですよね。これが置けない家って相当汚い家なんでしょうね。いや、まあこれはおちょくってるだけで、家に骨壺が置けない理由は想像がつきます。それは

骨壺が不吉だから

なんでしょうね。私は思うんです。

なんで長いこと一緒に侵食を共にした人が骨壺がそこにあるから不吉をふっかけるのか?

そんなわけありませんよね。日本では亡くなった方は ほとけさん と呼ばれます。仏さんが呪いの象徴になるはずがないんですよ。なんというか一緒に暮らしてたその時間、すべてを否定しているようにしか私は思えません。場所なんてどこでもいいんです。それこそ枕上にでも置いて

お父さん、祭壇の上に置いてあげなくてごめんねぇ

これですむ話なんです。私は思うんです。これだけ科学が発達してきてるのに、そういう恐れの部分ってむしろ退化してるんですよね。だから日本は宗教は衰退してると言いますが、実際この恐れの部分は増しています。なんというか

二枚舌

ですよね。もっと言えば化学がどうのこうのいいながら、死を遠ざける。これって仏教でいうところの

不両舌、不綺語

にあたります。もっと死について考える、教える時代がきてますね。

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