骨壺には何を入れますか?~エヴァンゲリオン~

いつだっただろうか、私が大学の時に友人に連れられパチンコデビューを果たした。負けが続き

もうパチンコなんてしないよ絶対ぃ~♪

と槇原敬之さんの歌っぽい気持ちになったあと、最後の500円で投げやりにパチンコをうつ。よく分からないアニメの台です。するとまさかの大当たりが続き、負けが一気にカバーしてプラウとなった。すると不思議と気分は

なあ、明日もゼミ終わりに行こうぜ!

笑顔でこう言ってるのだから人間は分からない。そこからこのエヴァンゲリオンのパチンコ台にはまりました。というか相性がよく、結局50マンほど勝たしてもらったのではないでしょうか。そこからアニメを見だすようになります。そしてオタク同様、フィギュアに手を出す私。そして時を経て・・・昨日フィギュアを捨てました。なんの感情もなしに笑というか引っ越しの段ボールが一つ実家にありそれを開いたら こんにちわ したわけです。あれほど大事に飾ってたのですがまあ未練はゼロです。

人の心ってほんと不思議。

日本での仏教って主体から離れるものを解脱と呼んでいます。分かりやすく言えば、主観を無くすという感じ。すべては世界でみんなのもの。というか世界の中の自分といったほうが分かりやすいでしょうか。そう私も自然の一部で、いろいろ縁がこねくりあってここにいるだけなんですね。極論を言えば私たちは

元素記号でいうと H、O、C、N、P、Sだそうです

ちなみに仏教では 

地水火風空識

と同じ6つだそうです。仏教の昔話でこういうのがありますね。

仏教に深い家族がいました。そこのお兄ちゃんが亡くなって河原で体を焼いています。そこに通りかかった人は不思議に思うんですね。この家族、淡々と無表情で体を焼いています。通行人は聞きます。『なんで悲しまないのですか?』するとお父さんはこう答えます。

悲しんでも息子は戻りません。そしてこの亡骸は入れ物です

この話を読んでから私は

仏教って冷たすぎだろ!

と思ってました。先日ふとTVを付けるとこういうニュースをしてました。

大雨の災害で息子さんが自宅に居ながら流されて亡骸もなくなった。一生懸命に家が元にあった場所を掘ったけどもなかった。骨壺は用意したけど入れるものがない。だから、自分の家があったであろう場所の石を拾い、骨壺に入れて供養墓に納骨した。

悲しみ事なので美談にはするつもりはないけども、思いを入れれば、そこの石でも私は魂は宿ると思います。

このニュースを見てから、先ほどの淡々と身体を焼く家族のことを思い出しました。そうですね、彼らは家族は体に思いを入れてなかったのでしょう。息子さんの魂はすでに浄土へ還ってると信じてるからこそ、目の前にある肉体はただの物質。子供が亡くなって悲しくない親はいませんもんね。そういうところに気が付くとこの、お話も何というか少しレベルが高い親の愛なのかもしれません。

最後に、エヴァンゲリオンですけども、もう心が離れた人多いのではないでしょうか。心が離れればそれはただのアニメなんですね。制作陣だけが盛り上がってるようにしか思えません。

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